みんなの作文
こんなこと話しました ・こんなこと書きました
木曜夜の「話すレッスン」と週末の「勉強会」で発表したことを、発表した人が作文しました。
読みやすくするため、杉浦が少しチェックしたり、コメントしたりしました。
色々な情報や色々な考えを読んで楽しんでくださいね。
ママになってから感じたウチとソト そのⅠ ナマケモノ
台湾では、パパの実家が赤ちゃんの実家になるのが一般的だ。つまり、赤ちゃんの面倒を担うのも(しかもママの産後ケアも)パパの親族だし、年越しもそこで過ごすのが普通だ。そして、パパの両親にとって赤ちゃんは「内」の孫なのに、ママの両親にとって赤ちゃんは「外」の孫だ。台湾語でも、パパの両親を普通に「祖父母」と呼んでいるのに、ママの両親は「吠えられる祖父母」と呼ばれている。なぜならば、家で飼っている犬にとって、ママの両親は知らない人なので、吠えるからだ。元々、このウチとソトの違いは知っているレベルに留まっていた。今回息子のショウくんと台湾にいた2ヶ月間、ウチとソトがこんなに違うんだと感じた。
「〇〇(夫の名前)のおばあちゃんは幸せだね。曾孫に会えるのね。」ママのばあちゃんがショウくんを抱っこしている時、突如言った。「何を言ってるの?ショウくんもばあちゃんの曾孫じぁない?」私の疑問に対して「それはそうだけど、ソトなのね。」と淡々とした答えだった。
さっぱり理解できない。
さらに理解できないのは、ママの父親もこのルールに縛られていることだ。
「台湾に着いたらまず彼の実家に行きなさい。」「向こうの都合を優先にしなさい。これはルールだ。さもないと何でショウくんの名字がパパと一緒なのか?」
あれ?名字も関係あるの?
向こう、向こう、向こう。向こうが悪いのではなく、むしろ私に優しく接してくれて感謝いっぱいだ。ただこんな控え目な両親がイヤだ。なぜか実家に除外されているようだ。あ、そこにとって、自分もソトだからなのかもしれない/なのだろうか。。
★コメント
・言葉から気持ちがこぼれ出てくるような、とてもいい文章だなと思います。
感じる心とそれを表す文章力。この二つはいい作文にとっての必須条件ですね。
・「ここ」「そこ」「あそこ」を使い分けると対象物と筆者の距離感が示せます。
・「パパ ママ」の語彙で統一すると読みやすいと思います。
ママになってから感じたウチとソト そのⅡ ナマケモノ
ママの子供は、ママの実家の方にとってはソトの人である一方、ママ自身はウチとソトの間にいる曖昧な存在だ。娘としてウチに戻って、向こうの嫁としてソトに帰るのだ。
けしてママの実家の人たちは、ママを除外するつもりはないが、ママの帰り先はソトになるのがキマリだ。例えママが死んでも、自分の実家ではなく向こうの先祖としてまつられるのだ。別の話だが、この「ウチーソトルール」「ウチーソト」ルール従えば、結婚するしないにかかわらず、娘の帰り先と死んだ娘をまつる人は、娘の結婚相手だと決まっている。未婚なのに死んでしまった娘に、結婚相手を探してあげるのが非常に大事であることも、このルールの一つだ。諸々おかしいこともあるがそれらはキマリだ。
私は、このルールがイヤだ。
しかし、このルールがあるからこそ、実家にモドッタ娘を大歓迎することになる。おいしいもの、娘の大好物、欲しいものがあれば何でも叶えてくれる。娘のためにソトの孫の面倒も見てくれる。そして、いっぱいいっぱいの手土産をつめて、娘を向こうに送る。
「このふりかけタイプのそぼろも入れるわ。日本への持ち込みはできないが向こうで食べれるのでね。向こうの家族が食べたいなら分けて食べてね。足りないならまた送るよ、言ってね。」
大切な大切なワタシのそぼろ、食べれば食べるほどまだ実家にいるかなと幻想に浸れる(ひたれる)が、食べれば食べるほど残りが少なくなるのだ。実家とのリンクもそぼろの量のように薄くなっていくかな、と悲しくて寂しくておいしくて食べていた。
義両親は優しい。何も言っていないのに、このそぼろのほとんどを私に残してくれたのだ。また、私が言えば、欲しいものとかも全部叶えてくれたし、子供の世話も助けてくれた。私の「向こう」は本当に天使のような方々だ。なのになぜ悲しくて寂しく感じるのだろう。
私の実家の人も、夫の実家の人も、この「ウチーソト」ルールに生きている人間だ。このルールから離脱するのは、日本に戻ることかもしれない。物理の距離を作ることが有効だ。日本にはモドルけど悲しくなくて寂しくもなくて穏やかな気分を感じている。むしろ少し嬉しいとも言える。それはイエに帰った気分と区別しにくいのだ。
ウチとソトはどことどこなのか、イエはどこにあるのか、ますます分からなくなった。
★コメント
「ウチとソト」の概念を行ったり来たりする「ママ」の胸の内がよく伝わります。
日本では夫婦別姓の議論が延々と続いていますが、さらに「家」「家族」の区切りをどこでつけるのかということもありますね。
もし、カショウくんが「林さん」になったら、パパ=朱さんも同じような感慨をもつのでしょうか。
ママになってから感じた「人間界での修行」 ナマケモノ
仏教では、神仙が修行のために人間界に降り立つという概念がある。子供を産む前の自分にとっては理解不能だった。病気などはあるものの、人としてこの世にいるのが楽しい。楽しい修行というのは想像できないものだからだ。
産声というのは赤ちゃんがこの世に降り立った際、最初に出した声で、泣き声だった。もしくはこの世に降り立つのが思ったより楽しくないのか。初めて産声を聞いた自分は、ほっとしたが嬉しくはなかった。人間界に来て「おめでとう」と言われるのに泣くのだ。分娩台で「なぜ『おめでとう』なの」と考えて…陣痛から解放されたことや、ようやく赤ちゃんと会えることや、安産のことなど、沢山のめでたそうなことの、どれが「おめでとう」の対象なのか、と戸惑っていた。赤ちゃんが泣いているのに、ママがボロボロなのに、「おめでとう」。
そして、臍帯が切られたので、おっぱいから母乳をパクパク飲む訓練が始まった。生まれてまもないとしても、生きるために頑張らないといけないのだ。「産まれることは、赤ちゃんにとって疲れることだ。なので赤ちゃんはずっと寝てるかもしれません。でも、4時間以上母乳を飲まないと脱水になりうるので、寝ていても起こしてね。」眠いのに何回も起こされるのがかわいそうだが生きるために頑張ろうと助産師さんに言われた。おっぱいをくわえる。母乳を吸う。うんちする。お風呂に入る。ガザガザな服になれる。1人で寝る。採血される。下手なママと付き合う。1日前、まだ子宮にいたのに。寒くもなく暑くもなく、腹減ることもないところで、臍帯あそびもできるし壁をパンパンパンして楽しくすることもできる快適な子宮にいたのに、突如としてこの世に降りて何もかもベンキョウしないといけない。しかも言葉も通じないし、自分も自分の体を思い通りに動かせない。なので泣きやまないのだ。毎回泣いている赤ちゃんを助けようとした私は、凄くつらかった。「ごめんね。生きるのに大変なのね。」本当にごめんなさい。勝手にあなたをお腹に招いて産んで、そしていっぱい泣かせてしまった。
修行。人間としてこの世に来るのは修行だ、と初めて実感した。赤ちゃんが産まれた最初の最初は、修行のように苦しかった。
幸い辛い日々は終わるものだ。ある日から起きたばかりの赤ちゃんが微笑んでくれるようになった。まだまだ山程の勉強があるー寝返りや、ハイハイや、立つことや、話すことなどーそれにも関わらず、起きるのが楽しいようだ。ママを相手にするのが嬉しいようだ。パパが作ったご飯を美味しく食べているようだ。きみの人間界修行は未完だが、新生の試練から抜け出したようだ。おめでとう。これからは苦しい時もあるが、楽しいものもからなず交わっているのだ。怯えもなく心配もなく一緒にこの修行を楽しもう。
★コメント
・「おめでとう」の答えが最後に出てくるのがいいですね。流れが美しい。
・りんさんの体験から生まれた厚みのある文章。読み応えがあります。経験は人を豊かに成長させるのだと実感します。
・道ばたで泣きわめいている小さい子供を見ると、「人生は長く厳しく甘く辛い(つらい)のだ、がんばりたまえ」と心の中で唱えてしまいます。そう、人生は修行だ。良い修行を積むと、良い私に会える、でしょ、きっと。
ママになってから感じた「さよなら」の重さ その① ナマケモノ
「さよなら!5日間後には帰るので、そんな心配しないで!」大学1年生になった自分は、家族の名残惜しい顔に「ただ学校に行くだけだよ。そんな顔するの?」と笑った。
大学時代の平日は学校で過ごして、土日は家に帰っていた。学校では自由で楽しい、家では3食も洗濯も親がやってくれて楽、当時はそのバランスに満足していた。そして海外へ留学して、いつか帰ると思っていたが、日本で働くようになった。いつでも私をウエルカムしてくれるし、どんな私も受け入れてくれるし、航空券さえあれば帰れるし、あそこで私の帰りを待ってくれるものがあるので、心強く日本で生活できるのだ。両親はまだ若いので彼らの老後生活は後で考えればいい、と思っていた。
しかし、2020年は航空券があっても家に帰れない年だった。ようやく故郷の土を踏むのは3年後の2023年、ただ4日間の弾丸帰省だった。その4日間は祖父母の老衰に驚いた。そして両親も思ったより年をとったのだ。いつもあそこにある自分のお家は、「いつも」あるわけではなかったのか。むしろ私が思った以上のスピードでなくなっているのか。仮に人生は百年もあるならば、年1回家に帰っても親とあと50回しか会えない。2年に1回なら残りは25回になる。細かく考えてみるとなんと恐ろしいことだ。
話を少し変えるが、息子のショウくんの成長で、「自分でものを掴めるようになる」や、「自分でおもちゃを楽しめるようになる」など、彼の「自分で」の出来事が増えることは、彼がママ(とパパ)と別れる準備をしていることではないかと強く感じた。必ずある日、彼もこの世界の何処かに翔んでいくのだ。自分のように。その時私は彼とあと何回会えるのだろうか。そしてその時私はまた自分の両親と何回か会えるのだろうか。
「さよなら。また帰るので待って(い)て。」とその時彼もきっとこういう風に私たちに言うだろう、さらっと。
★コメント
・書けば書くほど、味わいが増していきますね。スルメのようだ。素晴らしい。
・いつまでもあるものはない、だから今あるものを味わいつくさねばと、この文章を読んで改めて思いました。平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の音、盛者必衰の響きあり」の一文を思い出しました。
・表現の誤用はほとんどありません。上達していますね。
ママになってから感じた「さよなら」の重さ その② ナマケモノ
実はショウくんの前に、初期で稽留流産になった子がいた。病院で超音波の画像を見た瞬間でお別れが知った。「心臓は動いてない。2週間後もう一度来て。」だが2週間後も奇跡はなかった。
これは自分が初めて直面した生と死のお別れだった。
「もし妊婦健診で何か大変な病気が言われたら、」何回も夫と「赤ちゃんとさよならしよう。」と言ったが、このもしもは1回も欲しくなかった。
「初期流産は結構あることで、ほとんどは赤ちゃん側の遺伝子問題だ。ママが悪いではないよ。」続いて先生はこれからの処置を説明した。「手術してもいいし、しなくても赤ちゃんが自然に出るので、おまかせ。」
「もしも何かあったら赤ちゃんとさよならしょう。」といつも自分が言っていたのに、このもしもの時なぜかサヨナラなんって言えなかったのだ。手術を予約したものの、結構先の日にしておいた。そして、病院で診断された後は2軒のクリニックも行った。奇跡が欲しいというよりも、赤ちゃんを見たかったのだ。クリニックに行けば超音波診査で赤ちゃんと会えるからだ。会いに行って、また会いに行って、赤ちゃん側からのお別れが来る前に。
その日、手のひらにあるちびっこがいた。
「またね。」
母への謝り
2025年3月30日
優姫
娘の面倒を見始めてから、自分が小さい頃どうだったのか、いつも父に聞く。6歳前のことは本当に覚えていない。両親がどれほどかわいがってくれたのか、大変だったのか全く記憶にはない。なんかちょっと寂しいし、悲しい。特に母には申し訳ない。
中国で小さい子供がよく聞かれる、少しいじわるな質問は「父と母どちらが好き」というものだ。二人とも好きだというのが皆に求められる答えだ。それは父が好きだと答えるとなぜ母が好きではないのと聞かれるからだ。母の悪口を言いたくないし、母が好きではないことを知られるなら、母が寂しがるだろうと思った。実は父のことが好きなのだ。
なぜ父のことが好きか、理由は5つある。第一には、物心がついてから父と一緒にいる時間が長かったことだ。母は病院で仕事をしていたので、夜仕事で帰れない場合が多かった。私の面倒は父しか見られない。父は徹夜で麻雀をしている時、私も連れていって、椅子で寝かせていたらしい。第二には、成績について父に叱られなかったことだ。記憶の中で父に叱られた数は片手で数えられるぐらいだ。第三には、私の期待に絶対応えてくれることだ。小さい頃から食べたいお菓子、欲しいおもちゃ、買いたい電子商品なんでも叶えてくれる。断ったことがなかった。父の話によるとあまり叶えられないような要求がなかったそうだ。第四には、私を信じてくれたことだ。なんでも私の話を信じてくれる。私が何かをやる時、絶対大丈夫だと信じてくれる。支えてくれる。失敗した時、私がダメではなく、運が悪かったなど別の原因だろうと言ってくれる。私自信を無くしても、父は絶対信じてくれた。第五には、大人になってからの理由だが、私の人生の重大な選択に良いアドバイスをくれたことだ。父の貴重なアドバイスが私の背中を押して日本に来ることになった。私の人生に父がいなかったら、今の自分はどうなっていたのか想像できないと思う。
もちろん母が大切だけど、私の人生には父の方が大切な存在だと思っていた。
しかし、最近わかったのが、6歳になるまで、母は私の面倒を見てくれたが、父はあまり何もしなかったことだ。父が最近よく話すのがあなたはあなたの母と似てるね、本当に子供が好きだね。あなたの母は、あなたのためなら、なんでもやるような気がするということだ。そうか、私が今まで思っていたことと違うんだと気づいた。
私が生まれてから、母がよく徹夜で私の面倒を見てくれたそうだ。生まれてすぐ肺炎で入院した時も母は自分が母としてよくできなかったからだ。子供がかわいそうだと自分を責めた。9ヶ月から保育園に通ったので、母は仕事しながら、時間を作って、毎日、私の送り迎えを続けた。「服を着せる時、全然目が覚めないんだね。保育園に着いたとたん、目を覚ますんだよ。本当に寝ているのか、寝たふりをしていたのか、未だにわからないんだ」母は笑いながら言った。
6歳までの母とのことは覚えていない。いいえ、覚えていないより、全然知らなかったような気がする。小さい頃、4階建てのエレベーターがないマンションに住んでいた。私は足が弱いので、小学校までいつも母が私をおんぶして、4階まで昇った。なぜかこれだけ覚えている。
こんなふうに、母は私のためにたくさんのことをしてくれたが、私は覚えていない。私が覚えているのがあまり良くないことだ。勉強でよく叱られたり、理解してくれなかったりして、悪いことばかりでした。それは母の立場で、私のためにしたことだ。今は母になって気づいた。
記憶の中でこう思っていたが実際には小さい頃からいろんなことをしてくれた母に本当に申し訳ない。小さい頃からの記憶と印象は事実とは違うかも。私も母なので、ちょっと怖くなってきた。
私と両親は今、娘のことをどんなに大切にしても、将来娘は何も覚えていないのだ。なんか悲しいし、寂しい。でも私たちは覚えている。一生忘れないと思う。私にとってこの2年間は本当に幸せな時間だ。これだけで十分かもしれない。そうだ、そうだ忘れるのが当たり前だと隣で父が笑っている。その大切な思い出は私たちのものだ。娘は娘の思い出を自分が作るんだ。
・
後日譚
私が小さい頃に母の記憶があまりないことをどう思うか母に聞いた。母は覚えていないことは当たり前だろう。私がやったことはあなたに覚えられるためではなく、私がそうしたいからだ。私があなたの記憶の中でよくても、悪くても、あなたのことが大好きだから。私ができることを全部した、後悔はあまりない。それだけで十分だ。あなたは健康で、楽しく生きていけばいい。勉強は人生を左右するものだから、ちょっと厳しかったなあ。でもそれも後悔しない、もっと厳しい方が良かったかもねと笑いながら言った。母の話を聞いて、母という言葉の理解をもっと深めた。そうか、それが母だ。私もさまざまなことが大変だけど、一度も娘を産んだことを後悔することがない。笑顔に癒される。それで十分だ。
・母になってからさまざまな昔と違う感想、感情があった、それを記録する一文である。
作文Ⅰ (2024年8月9日)
目的:「たばこ」の紹介をする広報文
対象:たばこのことがあまり知っていない一般人
たばこの過去から現在
ナマケモノ
最近、たばこを吸う姿を段々見なくなったが、「たばこ」は誰もが知っているものである。たばこに関する一番古い文字記録は、紀元前の古代マヤによる「タバコ」という植物について書かれたものだ。その後、コロンブスがタバコを中南米からヨーロッパへ持ち帰った。今に至るまで何百年もの間に、戦争の時期でも、平和の時期でも、愛用されてきたたばこは各時期に違う姿で人々の心に住み続けるのだ。
数千年前のマヤ人のたばこは、現在の個人の楽しみの為のもの全く違うものとして捉えられていた。一例を挙げれば、メキシコにある「パレンケ遺跡」のレリーフに、紀元前1000年頃の古代マヤで、たばこは神様が煙を吸って愉しむものとして彫刻されている。当時「タバコは不思議な力が宿っている物、しかも神からの贈り物」とマヤ人が信じていたようだ。そして、タバコもそれがもたらす信仰も共に北アメリカへ広まった。たばこを知った北アメリカの先住民は、それを通じて「神を仲立ちにして争いをやめる」という想いで、一本のパイプを回し吸うことによりお互いに友情を作る習慣を生み出した。このように、古代にあっては神様や仲間との繋がりを作るツールのだ。
その後、コロンブスがアメリカに着いた際、初めて見た「乾燥した葉っぱからの煙」に対して注目していたのは、薬草として使われる特性であった。当時アメリカへ移住したヨーロッパ人は、慣れない気候や知らない病気、荒れ地を開拓することに苦しんだ。そして大変な日々を救ったのはたばことその煙だったとコロンブスは考えたようだ。コロンブスはそのたばこが、ペストや宗教戦争等に苦しんでいるヨーロッパに希望を与えるのではと考え、ヨーロッパに持ち帰ったのだ。
ヨーロッパで、頭痛やリウマチに効くと評価されたたばこは、医者のモナルデスが1571年に著した「西インド諸島からもたらされた有用医薬に関する書第二部」にアメリカ先住民の使用法や薬効が詳細に記載されたことで、「たばこは万能薬」と信じられた。しかし、輸入品であるたばこは珍奇で、かなりの値段が付けられ、決して一般庶民が手に入れられるものではなかった。その為たばこはただの高級な薬剤だけではなく、上品なイメージも生み出された。葉巻たばこも、嗅ぐたばこ(スナッフ)も、スナッフの箱等さえも貴族の気晴らしになった。一方、一般庶民はたばこの切れ端を集め、パイプに入れ、僅かな量で楽しむしかなかった。
スナッフとパイプは貴族と庶民のシンボルとしてフランス革命で使われていたことで、王権を表すスナッフより、パイプに人気が集まったようだ。フランス革命の後で、庶民の社会地位が上がったとともに、庶民を表すパイプに人気が集まったようだ。そして、たばこは一般的なものになった。その後、たばこが世界の各地と各階層に浸透し日常のひとときを染めてくれるのに、栽培技術と工業の発展は不可欠だったと言えるだろう。栽培技術と工業の発展のおかげで、たばこが更に世界の各地と各階層に浸透した。その広がったたばこが日常のひとときを染めてくれるものになった。
時間が流れていても、タバコはタバコ、ナス科タバコ属のニコチアナの仲間である。だが、たばこは古代マヤから、中世、フランス革命、現代に至るまで、様々なイメージを裏に付けられた。
宗教儀式の道具や薬剤として使われるのは、タバコそのものの化学成分による精神的な医療効果と、神様との交信と見られている煙のおかけなのだ。古代はたばこを神とのつながりとしてイメージをつけた。神様がくださったたばこの使い道は宗教儀式の道具と薬剤でした。そして、中世のヨーロッパ以来、人はたばこの値段や包装資材の選択、使用方法等により、たばこに社会の階層と意識をアピールしてきたのだ。それはフランス革命に如実に現れている。近代でも、理由はよく分からないが、たばこは男らしさやかっこよさと一緒に見られることがあった。更に、開発技術の発展により様々なたばこができ、たばこの味だけではなく煙さえ味わえるようになった。欧米では、煙が大量にできる電子たばこを使い、トリックの輪っかを作る競技会もあるようだ。
従って、たばこの過去から現在を見ると、一番面白いのは「タバコ」という植物でもなく、「たばこ」というものでもなく、人が各時期に与えた「たばこに対する社会意識」であると私は考えている。どのような背景で、どのイメージがたばこに付けられるのかというのは、たばこがこれからどういう風に進化していくのかを左右する鍵となるだろう。
!言葉の贈り物!
話題になった表見:広める・広まる・広げる・広がる
抽象・他者向け:
広める お酒の世界を広める(お酒の知識とかを宣伝する)
広まる 知識普及で、(新しい)知識が広まった。
言語の知識が深まった。
具体:
広げる 戦争・埋立によって、国の領土を広げる。
google mapを広げる。
努力して、自分の可能性を広げる。
広がる 車があれば、世界が広がる。
大学通うことで自分の知識(自分の可能性)が広がった。
努力したので(によって)、自分の可能性が広がった。
新島(海底火山の噴火)で国の領土が広がった。
皆さんの言葉の能力が広がるようにしましょう!
作文Ⅱ(2024年8月9日)
目的:ことわざ教科書の例文
※この勉強会で勉強したことわざをピックアップして文に入れてみた
この文に使われたことわざ:
月に叢(むら)雲、花に風:好事はとかくじゃまが入り、長続きしないことのたとえ。
大風呂敷を広げる:現実に合わないような大げさなことを言ったり、計画したりする。
一長一短:いい面もあり悪い面もあること。
虫も殺さぬ:殺生などとてもできないほど、おとなしい人柄にたとえるが、それを否定する言
葉につながることが多い。
重箱の隅をつつく:物事の取るに足らない部分ばかりにわざわざ注目し、難癖をつけること。
とばっちりを食う:そばにいて災難を受けること。
虫の居所が悪い:機嫌の悪いことにたとえる。
たばこの未来
ナマケモノ
時の流れと共に、たばこも、コーヒーと紅茶のように産地から世界の各地に広まった。食料のように生きていく為不可欠なものではないが、生きていくのにたばこがあると幸いなのだ。
徐々に嗜好品として扱われてきたたばこは、「機能」の価値より、更に「情緒」の価値を求められてきたのだ。たばこの「機能」の価値と言えば、植物自体にある物質、ニコチン等による覚醒効果や鎮痛効果、認知機能の向上等が挙げられている。また、情緒の価値としては、自分の社会地位や外見を高く見られることや、静かなひとときを過ごす機会を与えることだ。その為1人1人の情緒や思いを重ねてきた社会全体の意識が、たばこのイメージを形作ったと言える。
月に叢雲、花に風。たばこが愛用されてきたようだとしても、様々な禁煙令が出された時期があった。例えば、17世紀のフランス宮廷で、「身分の高い者が口や鼻からたばこの煙を吐き出すのは下品極まりない」のような、喫煙している見た目は不評だった。これに対し、たばこは葉巻たばこやパイプ等、煙のある摂取方法から、粉末にしたたばこを嗅ぐスナッフという様子として宮廷に戻ってきた。しかし、貴族が完全に煙を楽しめないようにするのが、あまりにも大風呂敷を広げるような理想だった。フランス大革命以降は、庶民を表すパイプ等、煙のある吸い方が再び愛用されてきた。この例によると、たばこをたのしむ道具や喫煙習慣は、いつも同じわけではなく、常に社会の価値観に応じて変化しているものなのだろう。
第二次世界大戦戦後のたばこ文化は花のように、世界各地に咲き始めている。しかし、たばこの特性も一長一短がある。医療技術が進歩してきた現在、着目されるのはたばこの体への悪影響になった。土壌から吸収した重金属はタバコの各部位に溜まり、喫煙者が使用することで体に吸い込まれてしまった。また、煙が出る場合は微小粒子状物質(PM2.5)も呼吸器の疾患に影響を及ぼし、毒性や発がん性を持つタールとニコチンもたばこの成分に含まれていると次々と指摘された。つまり、たばこは虫も殺さぬように見えるが、知らないうちに人の体を壊す恐
ろしさがあるという。健康懸念物質として見られるのは、たばこが長い間に人々の心の豊かさを支えてくれていた観点からみると、重箱の隅をつつくように感じるかもしれない。しかし、健康懸念をなくすことは、たばこを変身させて将来を掴むきっかけとも考えられるのだろう。
残念ながらいまだにたばこの愉しみと健康の観点で満点をとることができず、喫煙者自身の認知的な価値判断に頼らなければならない。また、たばこが際立っていると見られる煙について、煙の輪を作って愉しむことができる一方、煙のせいで周りへの配慮が必要になってしまうのだ。なぜなら、周りにいる他者はとばっちりを喰わないよう工夫がいるからだ。たばこの健康懸念がまだ明らかにされていない中、非喫煙者は受動で喫煙させられたら虫の居所が悪くなるのだろう。
そこで、JTグループは周りと喫煙者の健康への配慮の為、副流煙を制御する巻き紙を用いてシガレットを巻くことや、副流煙のあまり出ない加熱式たばこを開発している。また、果物のフレーバーを加える等の手段により、たばこの匂いを残さないようにしている。「たばこ」の健康懸念物質を減らす為、加熱式たばこ・電子たばこや嗅ぎたばこ等を開発してきた。更に健康懸念物質を完全になくす「たばこ+」に進化させることを目指し、たばこの本質を守り続けながら健康へのリスクも低減させていくのだ。
「人間が人間らしくあるために、それを助けたり、伴奏したりする仕組み・道具は絶対に必要だと思う」1と述べられているように、その道具をなくしてはいけないのだ。そして、健康懸念のあるたばこを開発し続ける理由は、その大切な道具を安心して利用してもらえることである。「たばこ+」に更に近づく為、周りに嫌われないことと、人間らしさの為の道具であることを両立するのが非常に大切なのだ。そうすると「たばこ」を新たにした「たばこ+」が使われる姿が未来で見えるだろうか。
1 た ば こ の 価 値 : 無 用 と 必 要 の あ い だ 。 Takuya Shiomi ( 2020 年 10 月 09 日 、
https://note.com/blxxll/n/n7774690ab9a6)
!言葉の贈り物!
(おまけ)使っていなかったことわざ
目から鱗(うろこ):何かがきっかけとなって急に物事の事態がよく見え理解できるようにな
る。
三日坊主:あきっぽくて何をしても長続きしないこと。
尻尾を出す:隠していたこと、悪事やごまかしていたことが分かってしまうこと。
鶴は千年、亀は万年:長寿でめでたいことをいう。
胡散臭い(うさんくさい):なんとなく怪しい。
捕らぬ狸の皮算用:手に入れていないものを当てにして、様々な計画を立てること。
肩透(す)かしを喰う:だまされる。
食い違い:齟齬がある。
肩肘張らない:リラックスする。
私は母になった
2024年6月23日 優姫
第1章 私
私は1989年の冬に生まれた。生まれてすぐ肺炎で入院した。母乳がでなかったため、代わりに父がもらってきた近所の牛の乳を飲んだ。父と母の仕事が忙しいので、9ヶ月の頃保育園に入園させられた。母の日記によると、保育園の子供と喧嘩して、やめさせられたそうだ。自分の記憶の中では、自分が静かなタイプだったが、両親の印象とはちょっと違うかも。幼稚園の頃、昼寝の時間でも眠れないので、一緒に寝る隣の子の髪の毛をたくさん抜いたことをまだ覚えている。小学校から高校まで、あまりクラスメイトと話さない、静かなタイプで、先生からよく褒めてもらった。
大学から、なんか性格が急に変わった。酒を飲んだり、たくさん友達を作ったり、やったことがないことを体験したりした。高校時代の同級生に会った時、なんか変わったと言われた。正しいか、誤りかに関わらず、やりたい時、自分の心によってやった。
日本に留学を決めたのが、2012年の5月。留学したのが、10月だ。日本語を勉強する時間がなかったので、来てから勉強して、大学院に入って、順調に卒業した後、仕事をし始めた。仕事は思ったように順調ではなかったが、苦労もあまりしなかった。
2023年の4月頃、自分がこのまま生きていくとちょっとつまらないと思って、子供が欲しかった。7月に妊娠した。予定の通りとも言えるし、人生の予定と大きくズレたかもしれないが、やりたいことをまずやるって、以前決めたので、そう考えると、自分の意思と変わらない。
2023年12月帰国した。自然分娩したいため、毎日約5キロ歩いた。ちょっと疲れた。4月11日、自然分娩で可愛い女の子が生まれた。その子との生活が始まった。この子を産んでよかったと思う。
第2章 私が母?
母になった1ヶ月目、まだ自分の新しい身分に慣れてなかった。生まれて1ヶ月の頃、母乳をあげる以外の時間に、その子を抱きしめたことがなかった。面倒をみてくれる人に全部任せた。自分が寝る、食べる、母乳をあげる。これだけだった。子供の顔をあまり見てなかったようだ。
母になった2ヶ月目、この子を初めてまじまじと見た。本当に超可愛い。自分が母だからではなく、本当に可愛い。母として、やることをだんだん勉強しはじめた。簡単に見えるようだけど、同じことを頻繁にやることは疲れやすい。でもこの子の笑顔を見ると、疲れが一瞬にして消える。これから、私はこの子と人生を続けるんだ。
第3章 私と娘の毎日
娘の名前は安安(アンアン)で、中国語も日本語も同じような発音だ。この名前は名前をつける専門の人に頼んで、生まれた生年月日によって、つけた。安安の様子が私と非常に似ている。私の父から見ると、35年前の娘をまた見たような感じ。生まれてすぐから可愛い子。(可愛くない赤ちゃんが多いらしい)
安安の一日、娘が寝る時私も寝る、起きて遊ぶ時私が付いて遊ぶ。まだ面倒を見てくれる人がいるので、母乳をあげる時以外、自分の時間を使える。
朝5時 起きる 母乳をあげる。
5-7時 遊ぶ まだ話せないが、私がその子に話しかけないといけない。
7時頃 眠そうになるので、母乳をあげる。
7-9時 寝る 寝る時誰か一緒に寝ないとすぐに起きてしまうので、一緒に寝る
9時 母乳とミルクをあげる
9-11時 寝る
11時 母乳をあげる、ミルクをあげる
11-14時 遊ぶ
14時過ぎ 母乳をあげる、ミルクをあげる
14-16時 寝る
16-19時 遊ぶ
19-23時 寝る
23時−12時 母乳をあげる、おむつを替える
23-1時 寝る
1-2時 母乳をあげる、おむつを替える
2-4時半 寝る
第4章 母になった私
私は母になることを選んだ。安安が私を選んだ。本当に娘に感謝している。
中国の諺では、「父母是来还债的」というものがある。つまり、両親が前世でこの子供から何かもらった、だから今生で子供のためにたくさんあげるという意味だ。子供が返す必要はない。今までの私は本当にそうだった。なんでも両親から得て、自分が両親のために何もやってなかった。両親が孫を欲しいと言って、私は最初それを叶えてあげるため、母になろうと思った。でも、両親が将来の私が寂しいかもと思って、そばにいる人がいれば、安心だそうだ。
人は愛する人がいると感情が豊かになる。娘の笑顔で喜ぶ、娘の泣き声で心配する。娘の手が私の手を握る時、私はこの子を絶対に守ると決心した。こんな気持ちは今まではなかった。今まで、両親から守ってもらった私は、これから、この子のために、頑張らなきゃ。
母になると自分の人生が変わるが、自分の人生が崩れるわけではない。いい母になるとともに、自分の人生を輝くようにしたいと思う。娘は私を見て、自分の人生をもっと良くするようにと祈っている。
AIは私たちの仕事を奪うの?
優姫
2023/11/25
私は金融業界データ分析のコンサルタントを勤めている。コンサルはご存知のとおりアドバイザーという立場になる。つまり、会社の課題にアドバイスをすることがコンサルの仕事の重要な部分だ。コンサルの仕事には問題解決スキル+情報を整理発信するスキルという二つのスキルが欠かせない。「問題解決スキル」としては、必要な情報を弁別する判断力、各問題に対する解決能力、高い実現可能性を示せる提案力、ITに関する専門知識などがある。「情報を整理発信するスキル」としては資料の作成、報告時の分かりやすさ、議事録の整理などがあげられる。AIの登場で、自分の仕事を奪われる可能性があるかという記事など急に増えてきた。私の仕事もAIに奪われるものだろうか。
私の仕事もAIに奪われる可能性があるかと考えたが、「問題解決スキル」の部分はあまりないと思う。なぜならケースバイケースの場合が多いからだ。つまり、同じような問題と見えるが、実際に客先の状況、外部環境などの影響が大きいから一概に同じ解決法を用いることができない。変化に対する対応力が必要になるのだ。また、客先の立場になって共感する必要がある。客先が言わなかった、考えていなかった部分はコンサルが考えないといけない。そう考えると既存のルール、やり方などの通りに進めるAIにとっては解決することが難しい。予測できない変化への対応はAIの弱みだと思うが、この部分はまさに人の得意分野だ。
仕事は奪われる可能性がないと思うが、「情報を整理発信するスキル」部分はAIに協力してほしい。例えば資料の用語の訂正、分かりやすい構成、フォマートを整えるなどはAIに任せたい。また、AIに図書館のように情報を整理してもらいたい。なぜなら人間の頭に入られる知識はやはり限界があるし、知識を覚えるために時間がかかるので、専門的な知識を調べられるAIがあれば助かるからだ。また、議事録を取る、日程調整をするなど事務的な仕事は人の時間を使うより、AIのほうが効率的だろう。
AIは私たちの仕事を奪うものではなく、私たちがもっと自分の価値を実現するための存在だと思う。AIの存在は私たちの競争者ではなく、協力者だ。単純な、手間がかかる、慣れたらできる事はAIに任せるのがいいだろう。人は自分の時間、力を新たな価値を作ることに集中するのが一番だ。だから完全に人間がAIに奪われる仕事はないと思う。AIの登場は人の価値を更に向上する為の存在だろう。
本当に自分になりたいか
20221217 優姫
毎年12月31日の夜から元旦になるまで放送される歌の番組紅白歌合戦が知っている?「紅組」=女性の歌手のチームと、「白組」=男性の歌手のチームの形で何十年も続いている。しかし、今年は一人の歌手が話題になっている。その歌手は白組でもなく、紅組でもなく、特別組として出演予定だ。その人は今まで男性の姿でテレビに出演したが、今回女性の姿でテレビに出演する予定だからだ。男性なのに女性の姿で出演することについて賛否の声があるが、あなたはどう思う?
私はこの歌手がなりたい姿で登場すべきだと思う。だれにとっても性別を決める方法は体だけでなく、精神的な状態も含めて決めるべきだ。昔から性別は身体的特徴によって決められる。さらに、男性のあるべき姿、役割が決められている。女性のあるべき姿、役割が決められている。世界の発展とともに物質的に満足したから、さらに精神的な豊かさを追求するようになった。しかし、性別に対しては、精神的な尊重より、身体的特徴から区別され、昔と同じように認識されている。なぜ男性のスカートの姿はだめなのか。そして、なぜ自分がしたいことができないのか。
男性だから、今は女性の姿になるとダメだという声が多い。これらの声が間違っているとは言い切れない。これらの人たちは自分の常識で考え、判断した。しかし、なぜ自分の考えを尊重するのに、他人の考えを尊重しないのか。
歌手の考えを尊重して好きな様子をすることを認めてほしい。
この歌手は紅白歌合戦後、しばらく休むことになった。歌手が女性として生きていきたいが、反対の声が多く、皆の前に姿を表さないことを選んだんだろう。他人の物差しでいきるより、自分の意志を尊重し、自分の為に生きている世界を作るべきだと思う。
子供の成長のために番組をどうすべきか
薫 風
2022.12.24
紅白歌合戦の紅白は「紅組」=女性の歌手のチームと、「白組」=男性の歌手のチームの意味だ。今年、これまで男性として歌ってきたある歌手は、最近女性的な姿でテレビに出ることが多くなった。この歌手は紅組でも白組でもない、特別な立場で出るそうだ。
そのニュースを見た私は、男性も女性も自分が好きな様子を選択する自由があると思うが、番組という影響を深く与える場所、男性も女性も元々の様子でテレビに出るべきだと考える。なぜなら、紅白歌合戦という番組は子供たちに影響を与えやすいからだ。大人が自分が好きなものをよくわかるのに対して、子供がよくわからないので、環境の影響を受けやすい。男性歌手なのに、女性的な姿で歌を歌う場合、子供に性別を混乱させる問題が起こる恐れがある。その男性歌手は、女装したいだけか、本当の女性に変わりたいか自分でよくわかっている。だけれど、番組を見た子供は、男性は女性のように化粧してもスカートをはいてもいいと思いがちだ。さらに、男性も女性トイレに入ることができると思うかもしれない。その場合、子供たちは性別意識が混乱する問題に出会う。
もちろん、女の子はピンク色が好きだというイメージは偏っている考えだろう。男性も女性も特定の好みや性格がないと思う。だけれど、男性と女性は生理区別がある。性別意識不明な問題があれば、女性的な姿の男性が女性トイレに入る場合、他の女性は怖い感じがするだろう。
つまり、子供たちに正確な性別意識を持たせるために、紅白歌合戦のように影響力がある場合、性別に合う様子でテレビに出るべきだ。
★この作文を書く前に、今年の紅白歌合戦の簡単なニュースを読んで、クラスメイトとディスカッションしました。それから作文のアウトラインやキーワードなどを考えてから作文をしました。書き上げた作文をクラスメイトといっしょに読んで、文法や文体について、ああでもない、こうでもないと議論しました。この作業がおもしろい。筆者の言いたいことがちゃんと伝わっているか、昔習った文法が正しく使えているか、自分の書きたいスタイル(今回は柔らかめエッセイ)にふさわしい言葉が選べたか、考えたり話したりすると日本語の知識が活性化するようです。そして、なにより楽しい!
薫風さん、作文ありがとう。(杉浦)
南極の仕事
L.トニー
南極とは、世界で一番南にある場所だ。海ばかりという北極と異なり、南極は大陸だ。南極と言えば、寒いところやペンギンのことや遠くにあり誰もいない場所であるべきだ。実は南極には千人がいる。夏には研究や観光のために5000人に増える可能性もあり、郵便局の仕事さえある。ペンギンがたくさんいる南極にある郵便局は、一体どのような仕事があるのか。
南極について研究するために、米国やイギリスなど、各国の研究室がそこにある。遠く寒すぎるので、各国の研究室が南極半島という南米大陸に近くにあり寒すぎないところに設立される。それに南極半島も観光スポットになった。観光と自国の研究者のために、イギリスの南極自然遺産財団法人(United Kingdom Antarctic Heritage Trust、略称:UKAHT)はそこで郵便局を設立した。それは世界で一番南にある郵便局または、ペンギンの郵便局と呼ばれている。その郵便局は今年(2022)3月から新人を募っていた。募集内容は選ばれた人たちが今年11月から翌年3月までそのペンギンの郵便局で働きに行くというものだ。仕事内容は絵葉書を送る一般的な郵便局の仕事と、観光のためにあるギフトショップを運営することと、郵便局の周りにいるペンギンの数を数えることを含む。今月、4人が選ばれた。その4人はそれぞれ北極の研究、生物多様性、地球環境、ペットの仕事として働いていた。BBCニュースによると、南極の生活は便利ではない。二段ベットやひとつしかないキャンプ用便所がその4人を待っている。南極まで掃除する仕事もある。ペンギンがたくさんいるからそとにはペンギンの糞便もある。みなさんは協力して掃除しなければならない。電波もネットも届かず、ただ衛星電話ができるが、あまりかけない。高すぎるのだ 。
その5か月間の南極仕事はもちろん挑戦だ。寒さの上に、仕事の途中で辞めることもできないし、怪我をしたら119をかけることさえできない。同期と協働することも大事だ。色々不便なのに、6000人はこの仕事に応募した。なぜなら、みなさん必ず、行ったことがない南極に半年住むことをやってみたいからだろう。
リアルとバーチャル
ナマケモノ
ーアウトライン(しかしこのアウトラインと文章自体が違うものになってしまった)ー
背景:リアルではない世界の増大
バーチャルの可能性:ネットで願望通りに人格形成することが可能
問題点・可能性:自分の願望はリアルと同一なのかという疑問
意見:この世界は偽物ばかりかもしれない
ー文体設定ー
読み手:「ハリーポッター」を読んだことのある人
文体:だ・である(ネット同人誌、短編小説)
ー---------------------------------------
「おはようー!」
リリーは今日も元気だね。いつも黒いローブを着ていて、人に畏れを抱いている男がにっこり微笑みかけている。
「ね、今日も魔法薬学の授業なの?」少女が続けて文字を送ってくる。
『そうだよー。』男は何か思いついて打ち込む、『そうだけどね、早めに授業を終わらせたいんだ。』カタカタカタ…
「うん?どうして?」
首を傾げているリリーちゃんもかわいいなあー『だって、明日はあなたの誕生日じゃん。』カタカタ。もうすぐ1月の終わりになるなー『何かサプライズになるものないかと』カタカタ。
「わーい」少女の喜びをまぶたに浮かべて「ありがとう、セブ。」
「Lots of love, Lily」と書いている破れた手紙は、なぜか男のノートに大事にされている。机の上にあるアルバムには少女が写っている写真が何枚かあるが、なぜか黄色っぽくなった。
毎日毎日、闇との交信、バカバカしい学生、とあのポッターという子。全てクソイヤだ。ホグワーツにいた教授である自分、スパイとして闇の帝王の目の前にいた自分、いずれも崩壊寸前のウソなんだ。
いくらイヤでもあの子を守らざるを得ない。ポッターにいじめられている最悪な思い出が甦ったが、リリーの目を持っている子を守らなきゃ。リリーに死なれた闇魔術を二度と使いたくないのに、ハリー・ポッターの為、いや、リリーの為、闇の帝王の前に最も優秀な闇の魔法使いのセブルス・スネイプがいる。人が信じているのは全て自分が演出したシンジツなんだ。
このリリーのいないゲンジツにいたくない。どれほどクソなこの人生、なぜか死んではいけないのだ。
男は机を片付けて、ノートを軽く優しくカバンに入れて、ふうーと長いため息をついて、黒いローブを着た。
「ため息をつくと幸せが逃げるよ。笑って、セブ。」
まあ、このクソな人生じゃ、どうせ幸せの青い鳥が訪れてくれないよ。
『サンキューね、リリー。じゃね。』カタカタカタ。
【セーブ】カチ。
魔法のできないマグルのこのバソコンというもの、悪くはないね。
★「リアルとバーチャル」についてみんなで考えてから作文しました。
ナマケモノさんの小説世界を楽しんでね、杉★
軍隊の生活 L.トニー
軍隊の生活 第一段階
軍隊の生活は青年たちの記憶の共通点というもので、部隊と年齢により軍隊にいる長さは異なるが、大体1990年以前は2年間で、1990年から2013年までは1年間で2013年以降は4か月間だ。今、どの軍隊にいたとしても二段階の訓練があり、まずは1か月間の新人訓練し、残った3か月間は専門訓練というものだ。生活の自由の程度は段階と各部隊により異なるが、新人訓練は必ず最も不自由な期間だ。
陸軍の新人訓練は、毎回4000~6000人をいくつの新人センターに分かれ、平均一つセンターは600~1200人をもらえることだ。四つの中隊は一つ大隊になり、150人ぐらいは一つ中隊だから、その150人は必ず同じ時間で同じことをする。それは、たとえば 10 分間の休みは150人がトイレに一緒に行くためにトイレの外はすごく長く並べる。トイレに行ったら休みはなくなってしまう。効率は全然よくないと思う。
第一段階には、毎日5時半(冬は6時)に起きたら、中隊のリーダーすぐみなさんを集め、掃除することや何時にレッスンをすることをアナウンスしてくれた。しかしレッスンというのは、学生生活ととても異なった。レッスン内容はおもに四つの種類分野があり、それは武器と戦いスキルを学び、個人情報を書き、どの部隊は今新人を採用することをアナウンスし、何もしないでただずっと座って次の命令を待つことだ。最も忘れないのは、最初の一週間はほとんど個人情報を書きばかりだった。医務室や大隊の課長や中隊の課長が新人の情報を必要としていたために、想像できないすごく多くのシートに個人情報を書かなければならなかった。情報セキュリティのために、直接ワードファイルをコピーすることは必ずできなかったので、時間かかった。それは起きたら書き、書いたらご飯を食べ、食べたら書き続けた一週間だった。
第一段階の第二、三週は主に各部隊の説明会だった。150人をいくつかのグループに分かれ、機甲科(きこうか)や通信科(つうしんか)などの部隊からの先輩たちは各グループに自分の部隊はどのような仕事をしているかを説明した。しかし、たとえば、機甲科の説明会は一時間かかったつもりだけど通信科のは二時間だった。その場合に機甲科に参加したグループは一時間何もできないでただ座って待たなければならなかった。ずっと別のグループを待っていたのでこの二週間に時間が長くなったようだった。第三週まで基本的に私たちはまだ武器を使えなかったので、最後の第四週は武器の塾のようだった。朝から夜まで武器の紹介や戦いのスキルを説明したから、休みは少なくなってしまった。
この一か月間に急に一般的な人から兵士になり、どの理不尽な命令としても従うために、第一段階は普段に最も厳しい時間だった。それからの第二段階はより色々な面白いことがあった。
軍隊―第二段階
4か月間の軍隊の生活は二つの段階があり、まずは1か月間の新人トレーニングで、残った3か月間は各部隊で行う専門トレーニングだ。私がいた陸軍を例に挙げると、砲兵、通信兵、衛生兵などいろいろな専門がある。事務系の兵士や料理長の兵士もある。新人トレーニングの最後は専門を選択するためにくじを引く盛大な活動がある。くじを引いたら専門と次の部隊を選べる。今度引いたくじは金門にある部隊を示した。
金門といえば馬祖を話さずにいられない。廈門のそばにある金門と、福州のそばにある馬祖は台湾島より非常に中国に近いので、第二次世界大戦が終わり、中華民国(台湾)と中華人民共和国(中国)が二つに分かれた後、中華民国を支配している金門と馬祖は最前線になってしまった。金門は主に二つの島がある。最も大きな島は漫画にある骨のような金門本島で一般的に「大金門」という。大金門の西方の島は「烈嶼」で、「小金門」という。50年前戦争がまだ行われていた時に、金門と馬祖は軍人にとって最悪なくじだった。今金門と馬祖のくじがすごく少なくなったが、以前そのくじは「金馬奨」と呼ばれた。中華民国政府が優れた映画を誉めるために成立した「金馬奨」と同じ名前の軍隊の「金馬奨」は、誰も全然欲しがらない。
小金門の南西にもっと小さい島がある。それは大胆島や二胆島だ。軍人にとって大小金門より最悪の最悪のくじがあれば、必ず大二胆島などだ。なぜなら、その島の大きさはほとんど一つのキャンパスぐらいしかない。小さすぎる場所にいることを考えるだけつまらないと思う。そのような島に行って、必ず運命はどうして自分をそのような場所に送ったのかをずっと考え、しかし全然わからなかった。その島の上にいることは辛いと思う。生きるために毎週一回の食材などを運ぶ船に頼ったり、水と電気の使用が制限されたりしなければならない。最前線にある島に生きることはどのような生活かを今台湾島にいる部隊が思うわけがないが、そのような小さな島にいたことがあれば、必ず物語もいっぱいあり、忘れられない記憶を運んで台湾島に帰った。
青島のビール祭り しゆう 20220817
最近、第32回青島のビール祭りの開幕が準備されている。コロナの原因で、今回の祭りはオンラインと対面を併用する方法が採用されている。
ビール祭りはいろいろな場所で開催されるが、一般的に、大型の遊園地はもっといい選択だ。なぜなら、ほかのところにより、市街地から遠くて、賃料が安いし、ほかの娯楽(ごらく)施設(しせつ)もたくさんあって、人たちはビールを飲んだり、遊具を遊んだりすることができるからだ。大人が大好きなジェットコースターや、子供が大好きな回転木馬(かいてんもくば)やいろいろな水上遊具などもある。
そして、世界中からの歌手やダンサーなどもたくさんいて、いろいろなバーの前で、歌ったり踊ったりしていて、お酒を飲みながら美しいパーフォーマンスを楽しむことができる。特に夜は、いろいろなライトに照らされて、とても賑やかに見える。
きれいなショー以外に、激しい飲み競争もたくさんあって、酒王争覇戦(さけおうそうはせん)と呼ばれる。お酒を飲めるかどうか、やってみればすぐわかる。
その争覇戦は3つの部分を含む。一回戦(いっかいせん)は、500 mlの 瓶(びん)ビールを飲み、一番先に飲めば、10点を取って、2番目の人が8点を取って、このように続いて、積算ポイントの方法を採用する。二回戦は、一杯1500 mlのビールを、先に飲めれば、10点取れる。最終戦は、1分間限定で、お酒は1樽(約1L)を1本のストローで飲む。一番多く飲んだ、一番強い人が最高のポイントを取ることができる。3回の結果を加えて、最終的なポイントが最も高い人は酒王(しゅおう)になり、車1台と現金奨励をもらうことができる。勇気のある人は試してみよう。
もちろん、その祭りにビールの種類もいろいろだ。黄ビール、赤ビール、黒ビール、白ビールなど、そして、世界各国から空輸(くうゆ)されるビールもたくさんあり、ドイツや、日本や、ブラジルや、ベルギーなどからの新鮮なビールも飲める。しかし、祭りのときはビールの値段がちょっと高い、全部味わうことはできないが、自分の好きな種類を選ぼう。
お酒だけではない、軽食(けいしょく)も必要だと思う。青島は海に近いし、カニ、ハマグリ、エビなどのシーフードもある。そして、人気がある羊(ひつじ)モモは、子供たちが大好きな食物で、毎回長い列に並ばなければ買えない。
以上は、一昨年の青島ビール祭りの様子だ。いまコロナのせいで、今年オンラインと対面の新しい形はどうなっているのだろうか、一緒に生放送でビールを飲むシーンもとても楽しみだ。ビールが好きなら、ぜひビール祭りを見逃さないでください。
2022年3月24日(木)今週のニュース
❶ウクライナの大統領(だいとうりょう)の演説(えんぜつ)
23日(水)の夕方、国会(こっかい)でゼレンスキー大統領がオンライン演説をしました。
「ロシアへの経済(けいざい)制裁(せいさい)を続(つづ)けてください」「ウクライナの復興(ふっこう)に協力(きょうりょく)してください」と言いました。
ことば 国会(こっかい) national Diet 経済(けいざい)制裁(せいさい) economic sanctions
復興(ふっこう) reconstruction 協力(きょうりょく)する to cooperate
❷春(はる)を楽(たの)しむ
春(はる)の言葉(ことば)を楽(たの)しみましょう。漢字を見て、どんな意味(いみ)か考(かんが)えてみてください。
「三寒四温(さんかんしおん)」
漢字(かんじ)をみるとわかりますか。3日寒(さむ)い日があって、4日あたたかい日があるという意味(いみ)です。春はゆっくりやって来ます。
「春に三日(みっか)の晴(は)れなし」
春は天気(てんき)が変(か)わりやすい。晴(は)れたり降(ふ)ったり、忙(いそが)しいです。
「春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚(おぼ)えず」
春の夜は気持(きも)ちよく眠(ねむ)れて、暁(あかつき)=朝(あさ)になっても気づかないという意味です。
「花(はな)より団子(だんご)」
桜(さくら)を見ながら食べる団子が花見(はなみ)団子(だんご)です。きれいな桜よりはおいしい団子の方がいい、ロマンティックなものよりは現実(げんじつ)のことが大事(だいじ)、という意味(いみ)です。
みなさんは、花より団子?団子より花?
❸春の詩(し)
春の花といえば桜(さくら)ですが、菜の花(なのはな)も同じくらいきれいです。菜の花の俳句(はいく)もあります。
菜の花(なのはな)や 月(つき)は東(ひがし)に 日(ひ)は西(にし)に
どんな映像(えいぞう)が見えますか。目の前にはたくさんの菜の花。東(ひがし)の空(そら)に月(つき)が昇(のぼ)ってきた、太陽(たいよう)は西(にし)の空(そら)に沈(しず)んでいくところ。春(はる)の夕方(ゆうがた)、まだ明(あか)るく、風(かぜ)は柔(やわ)らかい。そんな春の映像(えいぞう)が見えますか。
この俳句は与謝(よさ)蕪村(ぶそん)が作りました。江戸(えど)時代(じだい)の人です(1716~1784年)。
俳句(はいく)は 5・7・5 の言葉のリズムがあります。とても短い(みじかい)詩(し)です。
なのはなや(5) つきはひがしに(7) ひはにしに(5)
菜の花は見るだけじゃなくて、食べてもおいしいです。「なばな」という名前で売っています。
ゆでて、しょうゆをかけて食べます。オリーブオイルと塩でもおいしいですよ。春の味!春の色!
同じ(おなじ)江戸(えど)時代(じだい)にたくさん俳句(はいく)を作った(つくった)小林(
こばやし)一茶(いっさ)という人もいます。
我(われ)と来て(きて)遊(あそ)べや親(おや)のない雀(すずめ)
やれうつな 蠅(はえ)が手(て)をする 足(あし)をする
やせがえる 負ける(まける)な一茶(いっさ) これにあり
一茶(いっさ)の俳句(はいく)には、小さい(ちいさい)もの、弱(よわ)いものをよく見て、それを応援(おうえん)する(=がんばれ~と言う)気持ちがあります。
春には春の楽(たの)しみがあります。
みなさんの春を見つけて楽しんでくださいね。
募兵制と徴兵制
L.トニー
軍隊に入る制度は主に二つある。第一は志願制度、すなわち募兵制というものだ。第二は徴兵制というものだ。もちろん、その二つを組み合わせた制度もあり、ハイブリッドと呼ばれている。
志願制度は自分の意思により軍隊に入隊することだ。たとえば、日本とカナダは志願制度を実施している国だ。一般的に高校を卒業した17歳や18歳の国民が入隊でき、入隊した人は志願兵と呼ばれる。最初、志願兵は最下級である二等兵だ。二等兵から上等兵、少尉、少佐などの分隊長や隊長に段々に登り、国と地域によりに大体35年〜40年を軍隊に服したら退職できる。ある国は退職した志願兵に特別な年金や基本的な生活費用を与える政策がある。成人したら軍隊に入ると安定した収入が得られることだけではなく、50歳〜55歳で早く退職できることと55歳から80歳や90歳で死ぬまで年金をもらえるため、以前台湾の貧困家庭出身の青年は軍隊に入隊することに興味があった。
徴兵制度は軍隊に入る別の制度で、一定の年齢に達した国民を軍隊に強制的に入れるということだ。法律により軍隊に入隊することは国民の義務だということだ。政策により18歳〜22歳からの大人が一定期間に軍隊に入らなくていけない。軍隊に入隊する時間の長さは国により異なる。たとえば、韓国とイスラエルは徴兵制度を実施している国だが、韓国人は20ヶ月間の間、軍隊に入隊し、イスラエル人(男)は3年間だ。二十代の時に1年間や2年間軍隊に入隊させられる徴兵制は常に国民の人生計画を混乱させてしまうから、毎回選挙の期間各候補者は「徴兵制やめよう」や「徴兵期間は元々2年間なのにいまは1年間に短くしよう」という。しかし、短すぎる軍隊訓練期間は何も練習できず、長すぎる期間は皆さんの人生を混乱させる。徴兵制はこれからどのように発展するかわからない。
今の台湾は徴兵制から募兵制への移行期で、募兵制と徴兵制のハイブリッドのようだ。1999年以前の政策は18歳の男は2年間軍隊に入隊することだったが、2000年から2年間の期間から1年間だけに段々短くなってきた。2013年から軍隊に入隊する期間は4ヶ月間だけになった。しかし4ヶ月間は短すぎるので実際の練習はあまりできないので、先輩から聞いたのはその4ヶ月間ずっと小学生のように掃除ばかりしていたということだ。ある人は4ヶ月間軍隊の練習は全然しないので徴兵制全部をやめたほうがいいと言った。また、ある人は徴兵制をやめなければ以前と同じ1年間の練習に戻ることをすすめた。今まで徴兵制の存続はまだ議論中だ。
中国古代市場の様子 20220212
しゆう
市場にはさまざまな様子があり、その歴史も長い。では、それはどのように形成(けいせい)されたのだろうか。一緒に見てみよう。
実は、最初の市場は物と物を交換する原始時代に生まれた。その時、中国だけではない、世界中でそれぞれの部落の中に持っている食べ物や日常生活に使うものなどが全然違うので、部落間で基礎的(きそてき)なニーズを満たすためにはこの「物で物を取り換える」方法を使った。たとえば、図1は男の人はウサギの肉とおじいさんの魚を取り換える画面だ。だから、その市場は自発的に成立(せいりつ)した。
また、中国の第一に統一(とういつ)された時代、秦の時代(紀元前(きげんぜん)221~前207年)。その時、戦争(せんそう)がないし、みんなの生活は安定しているので、いろいろ自発的な市場が成立した。しかし、国の安全を守り、良い管理を保証するために、その時の市場はたくさん制限(せいげん)がある。第一は住宅のところと市場のところは違う二つの場所で、二つの間に壁があることだ。図2からわかるように、宮城(きゅうじょう)内は王様(おうさま)が住んでいる場所と市場があり、それ以外は一般的な人が住んでいる場所だ。だから、外部の人は買い物したいなら、必ず宮城(きゅうじょう)に入らなければならない。第二は違う分類は違う場所にあることだ。たとえば、魚屋は必ず魚屋の範囲で、他の場所には行けない。これは厳しい秦代市場の様子だ。
それから、唐代(とうだい)(618~907年)になると、長い間発展があったので、商人の地位(ちい)は上がったり、商業の意味もさらに重要になったり、市場について制度もますます完備した。その時、さまざまな市場があり、個々の市場は専門の人を管理するので、どこまでも繫栄ぶりや秩序(ちつじょ)があるなどの雰囲気になる。昼も夜も、街も市場もたくさんの人がいる。そして、このとき住宅地と商業地は近くなったし、夜市もあったし、買い物も便利になった。
最後に、宋代(960~1279年)になると、商人と庶民は自由に販売できるようになった。その時、景気がよかったので、商人の権力(けんりょく)がたくさんあるし、どんな制限(せいげん)もない、どこで開店してもいいし、前店後居(家の庭内は自分の家で、庭(にわ)の外は店だ。)の市場様子を形成した。
図1
図2
宋の時代
台湾シリーズ❶台湾の政治家
L.トニー
台湾に有名な政治家、たとえば最初の蒋介石(しょうかいせき)さん、日本でも有名な李登輝(りとうき)さん、今の総統蔡英文(ツァイインウェン)さんがいる。政治家は素人もいるし、政治家の家族からの人もいる。蒋介石の蒋家族を除きとても有名な政治家家族は必ず顏(イエン)一族(いちぞく)だ。
顏一族の政治は30年前台中(たいちゅう)で始まった。1990年代、30歳の顏(イエン)清(ツィン)標(ビャウ)さんは最も有名なヤクザだった。その後、顏さんは台湾の最も有名なお寺の社長になった。1987年顏さんは犯罪で投獄されたのに、1991年に友人は政治をお薦めした。それから台中の村長、市議員、国会議員に順番になった、お寺は地元の住民と強いつながりがあるという理由だからだった。2012年、顏さんは1999年ごろに犯した犯罪で有罪判決を受けた。その判決を受けた人は選挙に立候補(りっこうほ)することができなかったので、息子顏(イエン)寬(クアン)恆(ヘン)さんはお父さんの代わりに立候補し、当選した。三回目の2020年の選挙のとき顏寬恆さんは国会議員の選挙に落選(らくせん)した。しかし最近は再度選挙に立候補すると言った。
顏清標さんのニックネームは「冬瓜標」だが、一般的に「標(ビャウ)哥(ケ)」と呼ばれている(『哥』の意味は兄だ)。端午節の時に台湾の中部のちまきについて紹介した。その中部のちまきとは、ヤクザの顏さんが怒れば人を沈めるテトラポッド、消波しブロックだ。友達と冗談を言っている時に、政治について話せば「消波ブロックにならないように発言にご注意くださいよ」と言う。しかし2019年、顏さんは「標太郎」餃子ブランドを発表した。標太郎はスーパーで売っている冷凍餃子だが、一般的な冷凍餃子と異なり、より美味しいと思われている。そのために今の私たちは「餃子にならないようにご注意ください」と話している。
台湾に多くの政治家がいるし、ヤクザの家族出身の政治家も少なくない。しかしヤクザと餃子とお寺、その三つの要素全(すべ)てを持つ人は、必ず顏清標さんだ。ヤクザは社会に悪いが、顏さんの人生は確かに伝説のようだ。
注:中国語「顏」と日本語「顔」は漢字の構造が少し異なる。中国語の「顏」は「顔」と「色」の意味がある。
台湾シリーズ❷大甲鎮瀾宮
L.トニー
大(だ)甲(じゃ)鎮(じゅん)瀾(らん)宮(ごん)は、台湾中部の都市「台中(たいちゅう)」にあり媽祖(まそ)を祀(まつ)るお寺だ。媽祖(まそ)は中国や台湾などの東南アジアの国にいる海の神様だ。千年前生まれた媽祖の本名は林(りん)默(も)で、一般的に赤ちゃんは生まれた時に必ず泣くのに、伝説によると媽祖は全然泣かなかったために、彼女は「静か、黙る」の意味がある中国語の言葉、「默(も)」と名付けられた。媽祖は28歳の若さで亡くなった。しかし色々な死に方があったと言われている。海に遠く行った後沈んだという伝説があるし、海外の小島で空を飛んだという伝説もある。亡くなった後(あと)、ある漁師は船に乗っており強い風で船が転覆しそうな場合に、媽祖が現れ、船を安定させたことがたくさんあった。そのために皆さんは船に乗る前に必ず媽祖に安全を祈った。元々ただ一人の人間の媽祖は神様になった。
媽祖のお寺は台湾にたくさんある。香港や上海など海沿いの場所にもある。今、媽祖の統治範囲は更に海に限らず、水がある湖や内陸の川沿いの町も媽祖のお寺が見られる。海の神様なので一般的にお寺の扉は海に向かって開く。台湾で「媽祖遶(らお)境(じん)」と言う盛大な活動は毎年行われる。実際にいくつかのお寺は遶境を行うが、最も有名なのは台中のものだ。「遶」と言うのは「回る」で、「境」とは「範囲」だ。「遶境」と言うのは、神様は自分の統治範囲以内、何かがあったらちゃんと知りに行くというものだ。毎年三月、台中から南の台南まで300キロメートル歩く遶境は九日間かかり、参加する人数は400万ぐらいだ。それは大(だ)甲(じゃ)鎮(じゅん)瀾(らん)宮(ごん)の会長、あの餃子とやくざの顏清標さんは大きく広い影響力がある理由だ。
台湾シリーズ❸ 台湾と中国、近代的な歴史
L.トニー
1911年建てられた中華民国(ちゅうかみんこく)(中:中華民國。英:Republic of China, ROC)というのは、一般的に「台湾」を示す。台湾の住民(じゅうみん)は一般的に自分を「台湾人」と呼んでいるのに、住民は全部自分の国籍(こくせき)を「台湾」と思っているわけではない。ある人は自分の国籍を「中華民国」と思っている。一方、1949年からの中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)(中:中華人民共和國。英:People’s Republic of China, PRC)といえば、「中国」を指(さ)す。その二つの「国」はお互い「国」ではないと思っており、どちらも自分がその「正統(せいとう)な中国」と思っているので、「一つの中国」と言う原則(げんそく)が提出された。一つの中国は一つの「中国」と外交(がいこう)関係(かんけい)があれば、別の「中国」と外交関係を確立(かくりつ)されないと言うことだ。今の国際情勢(じょうせい)では、多くの国は中国と関係があるため、台湾の外交はより難しいと考えている。
その二つの国が別れたのは1949年の内戦(ないせん)の影響(えいきょう)だ。第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)の前に、中華民国はほぼ今の中国の範囲(はんい)を支配(しはい)した。その時点(じてん)は二つの政党(せいとう)、国民党(こくみんとう)と共産党(きょうさんとう)の戦争があったが、国民党はより強かった。世界大戦が起きた後、米国の影響で中国内戦が停戦(ていせん)され、二つの政党とも内戦の代わりに一緒に世界大戦の準備をするという政策が確立された。1945年、世界大戦が終わると、中国(国民党代表)は日本から台湾を取り戻した。しかしすぐ後に中国内戦が続いた。国民党は敗戦(はいせん)したので、1949年台湾に撤退(てったい)した。台湾の歴史教科書(きょうかしょ)によると、より強かった国民党の1949年内戦の敗戦理由は、世界大戦の時に国民党は日本とちゃんと戦ったのに共産党はあまり参戦(さんせん)しなかったと言うことだ。
台湾に撤退した国民党は台湾の大統領(だいとうりょう)蒋介石(しょうかいせき)さんが1949年から「中国を取り戻そう」と言う政策を行い、一方、共産党の毛沢東(もうたくとう)さんも似ている「台湾を取り戻そう」と言う政策があった。両方とも自分が正統な中国と述べたので、「一つの中国」原則が行われた。しかしほぼ50年が過ぎ、米国の影響や、中国の経済(けいざい)発展(はってん)など、多くの影響のため、相手を取り戻すことはできなかった。その50年間に生まれた台湾の若者は「中国を取り返すことをしてもしなくてもいい」と言った人が徐々に増えた。1990年代から、李登輝(りとうき)大統領(だいとうりょう)は徐々(じょじょ)に「中華民国」の代わりに「台湾」を使ってきたので、今の20代の若者は「私たちは台湾人で、中華民国ではない」と言う人が多くいる。
1986年、民主進歩党(みんしゅしんぽとう)(略称(りゃくしょう):民進党(みんしんとう))が成立(せいりつ)した。民進党の成員はより若い人たちで、理想(りそう)は台湾独立(どくりつ)だ。一方、国民党の成員も「中国に帰ろう」と「中国を取り戻そう」両方の主張(しゅちょう)があり、二つの主張を支える人がいるが、民進党の「台湾自身によって独立」と非常に異なる。一言で言えば、台湾に三つの主張がある。まず、1949年の蒋介石さんと同じ「中国を取り戻す」だ。次に、「中国に帰ろう、中国の一部になろう」だ。最後は、「台湾独立、台湾の未来と中国は関係ない」だ。ところで、冗談を言う時に、「祖国(そこく)(日本)の一部になろう」や「祖国(オランダ)の一部になろう」や「米の第51州になろう」などの主張がある。
台湾独立を支持する台湾人は少し多いが、実際に誰も現状を変えたくない。独立した後は多くの問題があり、中国に帰った後も多くの問題があるからだ。多くの人は今の状態を維持し続くことが欲しいと思ってい
台湾シリーズ➍ハニーレモンジュースの政治家
L.トニー
吳(う)萼(お)洋(やん)さんは元々保険会社の経理だった。2018年、台北市市長の選挙に参加したが、落選してしまった。5人の候補者の中で、得票数は最も少なかったのに、吳さんの政策は最も多く報道された。ある統計数によるとテレビで各立候補者の政策が報道された時間の長さで、別の4人の長さを全部加えてもまだ吳さんのより短かった。そのために、2018年中必ずすべての台湾人が吳さんのことを知っていた。
吳さんの政策の一つは政策発表会で発表したハニーレモンジュースだった。吳さんはハニーレモンジュースを絶賛お奨めし、当選したら市役所にハニーレモンジュースを提供する冷水機を設置するつもりだと言った。ハニーレモンジュースはいい飲み物だが、政策発表会でジュースについて話したことがなかった。笑っている皆さんは最初冗談だと思っていたが、徐々にハニーレモンジュースを買いに行くことが増えた。市長の選挙に立候補(りっこうほ)するために2百万台湾ドルを支払うことが必要だったが、皆さんはそのハニーレモンジュースの広告のような政策発表会が必ず2百万円以上のハニーレモンジュースを売ったと思っていた。その前、選挙に立候補して広告することを考えた人がなく、ただ2百万台湾ドルだけで広告できれば必ず毎回(まいかい)の選挙に参加して広告するだろう。
最後に、吳さんは兄が一人いる。兄さんはタピオカをどんな方法で広告するのがいいかについてのエッセイを発表した。皆さんは彼らが飲み物兄弟だろうと思っている。
ニュージーランドの有名な羊
L.トニー
ニュージーランドに羊が多くいる。2015年に人口は422万人ぐらいだったが、羊は2960万頭いた。最も多くの羊がいるときは、7000万頭の羊がニュージーランドにいた。しかし人口はわずか318万人だった。一人当たり平均22の羊がいた。ニュージーランドはラム肉、羊乳などの羊製品を輸出しているので、「羊の国」や「羊に乗っている国」と呼ばれている。
一般的に毎年羊の毛を刈り、一回は3分しかかからず5キロぐらいの羊毛を取れる。しかし2004年に、シレク(SHREK)と呼ばれていた羊は毛刈りを逃れるために1998年から逃げ出し、6年間、山に隠れひとり暮らしをした。再び見られたときにシレクの外観は通常の羊の3倍だった。驚いたニュージーランドテレビ局はホテルで羊毛を刈り取るチャンピオンを招待しシレクの毛刈りを行った。その様子も全国に放送した。放送した後シレクは全国の傑出した羊の代表になったから、当時のニュージーランド総理も見に行き、羊毛を刈るという番組もシレクを招待し一万六千ニュージーランドドルを支払った。
シレクは2013年に17歳の時になくなった(羊の平均寿命はただ12歳だ)。200 4年からの9年間でシレクは慈善団体15万ニュージーランドドル以上を集めた。なくなった後、ニュージーランド国民は様々な形でシレクを悼み、「安らかになった」というウェブサイトを立ち上げた。
読解問題をやってみよう!
Q1.最も多くの羊がいたときに、一人あたり何頭羊がいましたか。
A1.22頭です。
Q2.シュレックが山に隠れた理由は? A2.毛刈りを逃(のが)れるためです。
Q3.何年間、山に隠(かく)れましたか。 A3.6年間です。
モンゴルのトナカイ (遊牧民) ゆうぼくみん
ツ ェギー
キーワード
しょうすうみんぞく(ethnic group) ゆうぼくみん (migrant)
トナカイ (reindeer) そば (nearby)、トワ、逃(に)げる (flee)、頼(たよ)る(dependent)
モンゴルで28のしょうすうみんぞくがある。 そのうちのいちみんぞくはトナ カイゆうぼくみんぞくだ。かれらはクブスグルという一番北のけんに、モンゴルの一番大きいみずうみのそばでくらしている。
2010年に300人のトナ カイゆうぼくみんぞくあった。今日は400にんいる。モンゴルせいふはこどもの学校を作って、家を建てる。
もともとはトナカイゆうぼくみんはトワみんぞくだ。トワは 1944年までロシアがこっきょうをしめるまでロシアとモンゴルの間(あいだ)を行(い)ったり来(き)たりしてあったいた。そのまいまえ(前)にほんとうにトワはモンゴルのしょうすうみんぞくだった。ロシアでだいにじせかいたいせんがあったら一部(いちぶ)のトワみんぞくの人たちはモンゴルに逃(に)げてきた。トナカイゆうぼくみんはトナカイに頼(たよ)って生活(せいかつ)している。
トナカイゆうぼくみんはトナカイのほうぼくをめみつけるために生活(せいかつ)する。トナカイは暑い所に生きられない。したっがてトナカイゆうぼくみんは寒い冬に暖(あたた)かい低地(ていち)に生活(せいかつ)して暑い夏に高い山に生活する。
トナカイゆうぼくみんはトナカイの乳製品(にゅうせいひん)と肉を食べたり、かわで作った服(ふく)をきたり、角(つの)から作った薬を売りたり売ったり、飲んだり、かわでつくった家に住んでる。しっぽのかわでつくった靴は一番暖かいだ。
□私はどうやって遺産を伝えると思う。【今、子供たちは町(まち)に住んでいて、自然(しぜん nature)の生活を知らない。モンゴルの伝統(でんとう tradition)を知らない。私はどうやってそれを伝えればいいかと思う。】
★コメント(杉浦)
◎とてもおもしろい話でした。トナカイの遊牧民(ゆうぼくみん)について、はじめてききました。どうもありがとう。
〇遊牧民(ゆうぼくみん)の生活(せいかつ)の説明(せつめい explanation)だけでなく、ロシアとの関係(かんけい relation)も書いてあるのが、とてもいいと思います。
・だんらく(段落 paragraph)のさいしょは一つだけあけてください。
・家やビルは「建てる」という漢字をつかいます。
・発表の時にツェギーさんが話してくれたことを少し書くといいと思います
【 】は例(れい example)です
嫉妬について
優姫
嫉妬とは自分より良い状態の人を羨み、ねたむことだ。つまり、その人の状態が羨ましいだけではなく、憎い気持ちも含まれるのが嫉妬だ。
なぜ人の事を嫉妬するのだろうか。それは自分の心の中で、別の人のいい状態が納得できないからだろう。自分の心の中に自分がその人と同じようにいい状態ができるはずだが、何かの原因で、実際にできなかったという気持ちがある。または、自分がその人よりよかったと感じたが、現状ではその人の状態よりよくないと感じる。例えば自分と同じ学校を卒業して、むしろ学生時代、自分より成績がよくなかった人が、何年ぶりに会うと、その人はもう社長になって自分より非常に優秀な状態になっている。一方自分は卒業して、実家に戻って普通のサラリーマンになって、毎日社長に叱られて、苦労して生活している。この場合、その優秀な同級生のことを嫉妬するかもしれない。
自分より良い状態の人が大勢いるが、自分より状態が良い人をすぐに嫉妬するはけではない。嫉妬する対象は大体自分と同じような状態があった、自分の知り合い、むしろ友達に嫉妬しやすい。例えば、お金持ちに嫉妬する人は、会社の社長に嫉妬する人はあまりいなくて、自分と同じレベル人が自分よりいい状態の人に嫉妬する。簡単な例を挙げると自分より可愛くない、能力もない人が、格好よく、お金持ちと結婚して、豊かな生活をしていると、その人は嫉妬対象になりやすい。
嫉妬はよくないことだと思う。それは嫉妬が恨みという気持ちになるからだろう。自分が恨みという気持ちに左右され、間違った判断、行動を行いうるかもしれない。例えば自分の小さい頃の友人で、自分よりだんだん良くなって、自分が嫉妬の気持ちになると、無意識にその人を避けたり、良くない言葉で話したりして、大事な友情が失われるかもしれない。
嫉妬はよくないことだから、解消すべきだと思う。解消方法は自分も優秀になれれば、一番いい解決方法だと思う。しかし、自分が優秀になることはすぐにできることではない。もう一つの方法は嫉妬対象が自分より良い状態の原因を見つけて、納得することだと思う。自分がその人の優秀さを認めれば、自分の心の不公平感も消す事ができるだろう。
人間関係についての考え
優姫
どんな人は結婚相手の基準だろうかという話題で皆と話した。結婚は恋の成果物だと思う人が多いが、逆に、私はそうではない。結婚はお互いに必要という関係の成果物だと思う。そして、結婚だけではなく、人と人の関係はニーズの繋がりだと思う。
「友達」と比較して考えてみたい。大人になってから、急に友達が少なくなった気がした。生活環境が変わった事も原因の一つだと思ったが、考え方が変わったことが一番の原因だと思う。大人の友達は子供の頃の遊び相手ではなく、必要だからそばにいてほしい人たちだ。そもそも子供の頃の遊び相手は、誰でもよく、一緒に遊んでくれたら、いいのだ。大人になると、友達は非常に大事な存在である。友達は一緒にいるだけではなく、お互いに支え合うような存在だと思う。
大人になってから、初めて必要とされたいと感じた。友達でも、家族でも、仕事関係でも、必要とされることが、こんなに嬉しいことを初めて知った。誰にでも、すこしだけでも役に立てるなら、こんなに嬉しいことはない。しかも、何もできない自分が、必要とされないのではないかということが不安になった。これは大人になってから、感じたこと。だから、そばにいる人たちは私が必要とするか、または必要とされるかという集まりだと思う。少なくとも私はそうだ。
なぜ人間関係に必要とされることが重要であるのか。大人になると、時間が経つのがはやい。自分がコントロールできる時間少なくなっている。仕事、休み、料理を作るなど、しないといけないことが非常に増えている。自分の時間は少なくなっている。だから、暇な時間は大事な時間になる。友達に連絡したり、会ったりする。それは時間を使う。お互いに大事な存在である。その人達のために時間をたくさん使いたい。
結婚も同じだと思う。結婚相手と愛しい感情が存在すれば、一番いいが、存在しなくても大丈夫だと思う。愛はずっと存在するものではないので、最初はあってもいつか消えるものだと思う。だから、結婚相手を考える時、愛の気持ちより、自分のニーズに合うかどうかが一番大事だと思う。一方、同じ考えがあるのは私だけではなく、大学院時代、研究室で有名な先輩になぜ彼女と結婚したのかと聞いた。先輩は彼女が私の結婚相手リストの90点の女だからと言った。そのときまだ理解できなかった。30代になると、それは納得する。なぜなら自分は人生ということがだんだん理解できたからだ。結婚相手は自分にとってこれから何十年の人生の登場人物だ。この人物はどういう立場で存在するか、自分できちんと考えないといけない。そのためには相手が私を好きかどうかということより、見えるものだけ、選択基準にする。なぜかというと私を好きになってくれるということは私がコントロールできないからだ。その代わりに、この人はどんな家庭で育ったか、どんな教育を受けたか、両親はどんな教育、仕事しているか、私より優秀なところがあるなど、私が見えるものを結婚相手選択の基準にする。つまり、見えるものを基準に、人の性格、生活習慣などを推測し、結婚相手として問題ないかを判断する。結婚は恋人と違って、会いたい時あえばいい人ではなく、毎日会わないといけない人だ。会うたびに楽しいより、長い間毎日あっても嫌いではないことが大事だと思う。必要であればなんとか我慢できると思う。一方、相手は私を必要としない場合、結婚相手として私も不安である。私のどこかが必要とされると、友達としても、安心するし、嬉しい。つまり、お互いに必要という条件がないと、離れてしまうと思う。要するに相手は愛という感情より、お互いのニーズに合わせるかどうか大事だと思う。
旧正月
優姫
中国では1月1日はあまり正月の雰囲気がない。休みがあるが、年が変わる感じは全くない。掃除さえしない。
中国人が新年を迎えるのは旧正月だ。その日は中国人としては一年で一番大事な日だ。日本の生肖は1月1日から変わるが、中国は旧暦の1月1日から変わるのだ。
子供の頃旧正月は一年で一番楽しみにした日だった。
旧正月前の一週間から大掃除が始まる。自分の家を掃除するだけではなく、お祖母さんの家の掃除も手伝う。子供の頃の私の手伝いは雑巾洗うぐらいだった。
大掃除以外、食べ物の用意も大事だ。お父さんの仕事上の友達、近くに住んで居る人、親戚などが新年の挨拶でくる時、酒を必ずだす。酒を飲むために、すぐに出せる料理がないとダメなので、角煮、魚、各種類の前菜などを用意する。この準備のためも非常に時間がかかる。
お母さんが、毎年家に新しい物を追加しないといけないと言うから、お父さんはいつも茶碗などを買ってくる。この準備のための楽しい雰囲気、今思い出すと非常に楽しかった。
日本では年越しそばを食べるが、故郷ではラーメンを食べる。夜10時からスペアリブを食べる。食べきれるのがだめで、残さないといけない。肉をたべるのは来年、たくさん肉が食べられるようにという意味があった。(昔は肉を食べるのが贅沢だったそうだ)。肉を残すのは、来年も余りがあるようにという意味だ。
1月1日の朝食は水餃子だ。朝10時からの餃子は新年の時だけだ。1月1日はずっと食べている印象だった。中国では1月15日まで、皆会う時、新年の挨拶をする。1月3日から親戚の家に行く。これは私が一番楽しみにしていることだ。両親の兄弟が多いので、大体同じ年の子供たちは、この機会に全部集まって徹夜で遊ぶのだ。お父さんたちは徹夜で麻雀をする。新年の間に宿題しなくても許されるし、お年玉もたくさんもらえる。私にとって、一年で一番よい時だ。
その時は楽しいほど、今は寂しくなる。
私は兄弟がいない。従兄弟たちも大きくなって、皆離れた。あまり会えなかった。日本に来る年、初めて正月に家族と離れた。その時、彼氏がいて、少し寂しいが、違う正月にも楽しみにした。大学院時代、研究が忙しくて、正月にも帰れなかった。ずっと家族のそばにいなくて、新年を迎えた。仕事し始めて、旧正月の休みを取りやすいので、去年は帰れた。しかし、子供の時代と比較するとやはり寂しかった。
母の弟は大学時代、上海の大学に受かって、そのまま上海に住んでいる。祖父がまだ生きている時、叔父さんが実家に帰ってくることを非常に楽しみにしていた。でも正月のチケットが取りにくくて、3、4年に1回、正月の時に帰ってきた。たまに、くると伝えたが、急に帰らなくなる時もあった。その際に祖父は叔父さんが来られないことで非常に落ち込んでいた。大都市からの叔父さんはいつも綺麗な玩具、食べたこと、見たこともない綺麗な食べ物を持ってきた。私も失望するが、祖父のように目の光がなくなったほどではなかった。
祖父の感情を、その時理解できなかったが、今だんだん理解した。会いたいなら、行って会えばいいじゃない。子供の頃そう思った。大人になるといろいろな事情があり、簡単そうにみえるが、実は難しいことがたくさんあるのが分かった。
今の私にとって、正月になると悲しくなる、また1年過ごした。
2021はお父さんの60歳の誕生日だ。しかし、コロナで帰れない。これも大人の事情だ。
学歴は人を示すか
優姫
何の長所もない人に対して、学歴はその人を表すことができると思う。学歴以外、他の人より優秀な点があれば、学歴はその人の一部分でしかないと思う。
勉強は知識の取得だけではなく、人の思考力、考え方、理解能力の訓練であると父はいつも言っている。私もそれに賛成する。
人に初めてあった時、どういう人か判断できないだろう。でも、友達になれるかなれそうもないか、第一印象は非常に影響がある。
就職の時、学歴は就職する人にとっては、会社に与える第一印象だろう。会社としては影響力、規模などは就職者への第一印象である。だからこれはあくまで公平だと思う。
中国は学歴について非常に重視している。いい大学を卒業した人は絶対に優秀な人とは言い切れないが、大部分が優秀だと思う。いい大学に入れなかった人は優秀ではないと言い切れないが、少なくとも、この人達は自分を表す初めてのチャンスを大事にしなかったと言えよう。
中国は教育不公平で大都市以外の人はいい大学に受かるのが難しいが、別にいい大学に入れないわけではない。例えば省の1位になったら、いい大学に入れるだろう。教育の不公平は自分がいい大学に入れない理由にできないと思う。教育の不公平は大都市以外の人はもっと努力が必要だと思う。
優秀な人は一流大学を」卒業した人という定義ではない。いろいろなことで、自分が優秀であることを証明できるなら、それは優秀だと思う。例えば中国で非常に優秀な歌手は、勉強が苦手で、ピアノが好きだから、一生懸命努力して、中国で知らない人はいないほど優秀で、その人は別に学歴を示す必要がないだろう。
自分の得意分野、自分しかできないことが何もなく、学歴しかない場合、学歴はその人を表すことできると思う。今回周さんが話した例、大学院、博士は一流大学で勉強したが、普通の大学を卒業したから、認められなかった。それはその人の頑張り、優秀さを認めなかったのではなく、その人より、全ての段階で優秀な人と比べる時負けたと思う。その人のライバルはその人より、もっと優秀で、努力したと思う。努力するならいい結果を得るわけではないが、努力しなければ、いい結果になる可能性もない。
学歴は一番簡単に自分の能力を証明するものだと思う。学習能力を証明する証明書だと思う。簡単というのはだれでもその証明書を綺麗にするチャンスがあるということだ。仕事はすぐにできることではない、学習しつつ、できることがだんだん増える。だから、学歴はその学習能力を証明している。その証明書が綺麗なことは学習能力が良かったことを、相手に信じてもらう証拠だと思う。
学生時代、本当に学習することを楽しんでいる人がすくないと思う。仕事も同じだ。好きなことが仕事になる人もすくない。生きているため、仕事をしている人もたくさんいる。だから自分がすきではないこともうまくできるかどうかも判断できると思う。
学歴は全ての人の全てを表すことができない。でも自分が自分を表すことができることを見つけられないならそれしかないと思う。